芸術格差を考える(第3回 : ありがとう、ショーン・パーカー)

【目次】

第3回:ありがとう、ショーンパーカー


パクリ問題について話をするときに、それがオマージュなのか、パロディなのか、引用なのか、リスペクトなのか、影響なのか、ぼくにとってそんなものはどうでも良い



ゴドウィンの法則によると、「インターネット上での議論が長引けば長引くほど、ヒトラーやナチを引き合いに出すことが多くなる」らしい。
だから、こういう表紙を見たときに、実際にプーチンがヒトラーとどのくらい似ているのか、というのは歴史学者ならともかく、少なくともぼくにとってはどうでも良い。
このデザインがただ単にかっこよく、小さな文字をヒゲに見立てたり、ネクタイの柄がどうも鉤十字にみえるなあ、なるほど、素晴らしいじゃないか、と思うだけで良いのだ。

どこまでパクって良いか、というのは法律よりもむしろ法廷に委ねられる。
そしてその範囲はどんどんひろがっているように思える。
とくに知的財産権のもうひとつの中核、特許では。

しばしボルドリン&レヴァイン『〈反〉知的独占』を読み進めていくので、アメリカが舞台になる。

1889年には、植物における特許は不可とする判決が出ている。それが1930年には植物特許法によって、ごくごく狭い範囲の特許が許されるようになる。そして1970年には植物種保護法によって、かなりの範囲の植物が保護されるようになった。
ソフトウェアも、それまで知的財産権の保護なんか全くなしに発展してきたにもかかわらず、いまでは完全に保護されている。
1981年に「ダイヤモンド対ディーア」裁判での最高裁判所の判決、そして1996年に特許商標庁が新しい審査ガイドラインを発表してから、プログラムは完全に特許取得の対象となった。


「判例法」と聞いておそらく思い浮かぶのは、中絶やプライバシーなど議論の的になる領域だろう。だが立法法的見地による検討も承認もなしに、判事が法体制において最大の変化を起こしたのは特許法の領域である。コンピュータソフトウェアへの特許保護の拡大がその一例だ。(ボルドリン&レヴァイン)

これらの発展は、1990年代までにとてつもなく発展したが、その時にはなんの知的財産にも保護されていなかった。
しかし1998年の「ステート・ストリート銀行対シグネチャー・ファイナンシャル・グループ訴訟」によって、ビジネス手法や数学的アルゴリズにさえ、特許が取得できる、ということになった。金融証券にも。

司法積極主義に則ったこの異例の行動によって、法廷は政府公認の独占状態を金融証券など、イノベーションと競争が手を携えてやってきた好況市場へと拡大したのだ。(ボルドリン&レヴァイン)

ソフトウェアはいまでは特許冷戦がおきている。
ソフトウェアを開発するときに、他の特許を侵害せずにいることは、まず不可能なのだ。

わが社のエンジニアたちと弁護団は、数々の幅広い既存の特許を侵害することなく複雑なソフトウェア製品を開発するのは、いまでは不可能に等しいと助言してくれた。(ジェリー・ベイカー(オラクル社))

大手企業が取得している特許のせいで、ソフトウェアの開発ができない。
ならばどうすれば良いか。
それは、新たな有益な特許を取得する、ということだ。
この世には、実際に使用されていても特許になっていないものがたくさんある。それを見つけて、申請さえすれば良い。そうすれば、それを使用するすべての企業が、使用許可を取らなければならない。これで関係性は対等になる。

1996年の新ガイドライン、そして1998年の訴訟。
これが特許爆発のきっかけとなった。特許申請数が飛躍的に伸びたのだ。
具体的にいうと、1997年から2001年までの間に、50パーセントも増加している。年間出願数は90年代末に34万件におよび、これは60年代の3倍以上。それにともなってアメリカ弁護士協会の知的財産部門の会員数も4倍になった。
ノキアは12,000件の特許を持っているし、マイクロソフトは20,000件の特許を持っている。マイクロソフトは毎月1,000件のペースで増えているらしい。
これでますます、誰かの特許を侵害せずにソフトウェアを開発することは不可能になってしまった。
これらの特許の膨大な取得が、完全に無駄であり、なんの意味もないことは、わかりきっている。
もちろん、本人らにだってわかりきっているのだ。

われわれの特許は10,000件ーー実におびただしい数だ。10,000件より1,000件の方がありがたいか? イエス。他の世間が同じようにするなら。(D・ブルース・シーウェル(インテル))

われわれの特許は(アメリカで毎年)3000件(認められている)。だが必要ならそれを10,000件にだってできる。(ジョン・ケリー(IBM))

全員が、これらの特許が無意味だということは知っている。しかし、全員が一斉に止めない限り、誰も止めることはできない。

2000年のカーネギー調査によると、企業の88%が独占者になるために特許を取得していて、53%が交渉や訴訟回避のための無駄なレントシーキングに特許を持っていて、「まともな特許利用」であるライセンス収入を目的に特許を持っているのは17%しかなかった。またイノベーションの利益に対して特許が有効だと考えている企業は、全体の3分の1しかいなかった。
ほとんどの企業は、無駄に、特許を持っている。

この状況は、大量の高額な核兵器を「防衛目的」で所有していたあの冷戦時代に似ている。いま企業は莫大な資金をつぎこんで「防衛特許」を取得、所有している。(中略)それよりもなおさら狂気じみている。少なくとも当時は、実在する共産主義の外的脅威という自分で作り出した存在ではないものから身を守ろうとしていたのだから。現在の「防衛特許」の均衡には、われわれの福祉を脅かす外的脅威は存在しないーーこの脅威はわれわれがまちがった法を選んだために、つくり出したものに他ならないからだ。(ボルドリン&レヴァイン)

さらに、特許は出願しても、修正案などいろいろだして授与までの時間を引き延ばすことができる。
これは、出願日から特許は有効とされるのだが授与されなければ公表されないからだ。
だから、たとえばジョージ・セルデンのように、出願から授与まで16年も引き延ばすことができる。
その間に、これにかかわる技術を他の企業はばんばん使っていく。そして産業が十分に発展した段階で公表し、特許使用料を徴収するのだ。セルデンはこれによってアメリカの自動車1台につき販売価格の1.25%を徴収した。
これらは水中に潜ってなかなか姿を現さないので、「サブマリン特許」といわれている。深刻な社会問題だが、いまだに解決されていない。

メモリチップに関する特許を(秘密裏に)取得していたラムバス社。これらの内容はラムバス社に関係なくすでに広く使われている技術だったが、ラムバスは計画的に特許を取得した。

ラムバス社の反競争的なやり口というのは、JEDECの名で知られる業界標準団体の取り組みに関わりながら、その標準に提案されて最終的には採用される特定技術の開発に積極的に携わっていて、現に特許を一つ取得済みであり、いくつかは出願中であることをJEDECにもそのメンバーにも知らせないでおくという手口だった。(中略)ひとたびその標準がDRAM業界に広く採用されると、この標準に合わせてメモリ製品を製造する企業に対して、この特許を世界中に行使したのである。(連邦取引委員会の申し立てより)

ラムバス社は詐欺容疑で告発されたが、結果はラムバスの勝利。すべてのメモリチップメーカーはラムバスに使用料を払っている。

境界線判断を裁判に任せていると、良いことはない。
境界線はどんどんひろがっている。

著作権や特許で、「これは大丈夫だろう」と思われていたものが軒並みダメになっていくからだ。そして一度ダメといわれたものは、判例主義によって、すべて必ずダメになってしまう。




現在までのところ、知的財産権によって全く保護されていない(と思われている)ものもたくさんある。
そして、保護されていない分野は、保護されていないにもかかわらず、随分発展しているのだ。
デザインに特許はない。意匠(デザインに関わる工夫や何か)にはあるが、デザインそのものは全く保護されていない。

ハイブランドが発表した新作は、その数ヶ月後にはH&MやZARAでもっとずっと安く買うことができる。それでもシャネルやヴィトンが競争に負けることはないし、一方でファストファッションも盛り上がっている。

Sheffer Told Me Toというサイトから少し拝借。


どの女の子が女装をした男でしょう、というクイズではない。

a,b,cのどの服が最も高価にみえるか、というもの。
こういった画像が、「Splurge VS Steel(高級品VSパクリ)」で検索するとたくさん出てくる。


aはFree People、bはVince Camuto、cはThread & Spply。

こういう現象は、ぼくたちは当たり前のことだと理解しているし、消費者の感覚ではずいぶんお世話になっている。
H&Mで1,000円出せば、そこそこ最新の服が新品で手に入る。

絵画などの芸術作品にだって、著作権のおよぶ範囲は限られている。
作品そのものに著作権は発生するが、その手法やコンセプトにまで著作権は及ばない。

無調の音楽を誰が発明したのかはわからないし、無意味な議論だとも思うけど、仮にシェーンベルクがその権利を主張したとしたら、現在の映画会社は軒並み訴えられるだろう。もしこの音楽的手法に著作権があるとすれば、まだ彼の死後60年と少ししか経っていないのだから。
エリック・サティが教会旋法を楽曲に取り入れたこと自体に知的財産権を主張できたとしたらどうだろう。ドビュッシーもラヴェルも生まれなかっただろうし、みんなが大好きな久石譲はただのいかついおじさんでしかなくなってしまう。いやちょっと待てよ、教会旋法は、サティが作ったわけではない。むむ。教会がつくったものだ。


建築デザインにしたって、だれがだれのパクリかなんて、言うだけ無駄だろう。
図書館や学校はすべて同じデザインだし、おしゃれなコンクリート打ちっ放しのマンションはすべて安藤忠雄に著作権料を払わなくてはいけなくなる。いや、コンクリート打ちっ放しだって、べつに安藤忠雄のアイデアじゃない。コルビジェも違う。じゃ誰だ? 
ほら、だから、こういう話をしていると、永遠に続いていくことになるし、結局は「オリジナリティなんて存在しない」という、そもそも著作権という発想自体がまちがっているという、ぼくの当初の考えに立ち戻ってしまう。

さあ、みんなで、コンクリート打ちっ放しの住宅は誰に著作権があるか考えてみよう。

さりげなく佇む安藤忠雄作品。今見ても「普通のデザイナーズハウスやな」以上の感想は持たない。


建築の著作権は、べつに空想でもなんでもない。
現に、著作権の対象範囲は「デザインそのもの」にも手をひろげつつあるからだ。

オリンピックのエンブレムの話をみなさんはご存知だろう!
そして、新国立競技場の話を!

あんなバカバカしい話があるものか。
だって、世界中のほとんどすべての国立競技場がパクリなのだから。
そして誰一人、それが何からのパクリなのかは明確に答えられない。
エンブレムだって、この世にいったい、パクリではないエンブレムなどあるというのだろうか?

2005年には、グラウンド・ゼロのタワー設計にパクリ疑惑が浮上して、実際に裁判になった。
ミュケイジー判事はそれがパクリで、不適切な盗用だと判断している。
しかし彼はこうも言っているのだ。

普通の観察者は、この二つのタワーが実質的に同じであると気づかないかもしれず、むしろその可能性が高い。(マイケル・ミュケイジー)

この人は何を言っているんだ。
誰も気付かんもんに、なぜ不適切な盗用だといえるのか。

ここで想像してもらえるだろうか。同じ法的論理が、たとえばバルセロナの黄金地区や、ローマとフィレンツェのルネサンス様式の建築物、あるいはドーリス様式の円柱や、さらに言えばそのほかの柱のデザインに適用されたらどうなるだろうか?(ボルドリン&レヴァイン)

著作権は文化芸術を果たして振興させることができるのか。

訴えられたことによって、さらなるパクリを助長されて、その結果、「大繁盛」したものもある。
われらがmp3がそうだ。
当時無名だった小企業、ダイアモンド・マルチメディア・システムズ社は、当時ほとんど知られていなかったmp3を再生できる機器を発売した。そしてアメリカレコード協会に訴えられるのだ。結果はレコード協会の負け。
このニュースがmp3を有名にした。



アメリカレコード協会は次に、ナップスターを訴えた。P2Pの普及を阻止するためだ。
そして今度はアメリカレコード協会が勝利し、ナップスターは倒産した。
しかし、1999年に500,000人しかいなかったナップスター利用者は倒産直前には38,000,000人になっていた。
そしていまでは、アメリカだけで4000万人以上がP2Pを利用してファイル共有をしている。P2Pが消えることはなかったのだ。

デイヴィッド・フィンチャーの「ソーシャル・ネットワーク」では、ナップスター倒産後のショーン・パーカーが、やや過剰なイカれたキャラで描かれている。

ウィニーはやや怪しい響きを帯びていても、同じP2Pに支えられているSkypeやLINEはいまでは普通に使われている。
レコード協会や多くのアーティストが訴えたなんていまでは信じられないくらいだ。
ありがとう、P2P。仕組みはわからないが、ありがとう!
ありがとう、ショーン・パーカー!



最後に、またしても引用。

だがここで重要なのは、次のような因果関係はアメリカでも、世界のどこでもまったく成立していないという事実だ。立法府が「X分野における発明に特許保護を拡大する」法案を通す。Xはいまだ経済活動が発展途上にある分野だ。法案通過から数ヶ月、数年、あるいは数十年後には、X分野において発明が急増し、Xはたちまち革新的な新興の好景気産業になるーーそんなことは、いつどこでも起こったためしがない。(ボルドリン&レヴァイン)

また次回から著作権の問題、とりわけ著作権期間延長に的を絞って考えたい。

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