メトロポリス

初めてフリッツ・ラングの『メトロポリス』という映画を観た。フィルムがかなり紛失しているみたいで、1割くらいはただの説明なんだけど、すごく面白かった。とりわけ労働者たちのデモのシーンはすごかった。国というのがあればいつだってこういうことは起こるかもしれないんだとよくわかる。

















ところでツイッターでこんな文章をみた。


「世界」の駅乗降車数ランキング
1位・新宿駅
2位・池袋駅
3位・渋谷駅
4位・大阪駅(梅田駅含む)
5位・横浜駅
6位・北千住駅
7位・名古屋駅(名鉄・近鉄含む)
8位・東京駅
9位・品川駅
10位・高田馬場駅”


たとえばK-POPがオリコンランキングに入れば「作られたブーム」だとかいうのに、なぜこのランキングには疑問を抱かないのだろう。
これが作られた真っ赤な嘘だということがわからないのは、本当にしょうもない愛国心だと思う。

『ホテル・ルワンダ』という映画をみた。ルワンダの虐殺のころ、ぼくはとっくに生まれているはずだけど、最近までほとんど知らなかった。
ぼくはウィリアム・ヴォルマンという作家の『蝶の物語たち』という小説を読んで、虐殺というものに興味を持った。「虐殺というものに興味を持った」というとしょうもないサブカル女みたいだけど、そういうこっちゃない。『蝶の物語たち』はカンボジアのクメール・ルージュによる虐殺のお話だった。
ぼくは世界の虐殺について調べて、その中に当然ルワンダのことものっていた。
ルワンダではフツ族がツチ族を虐殺した、ということがあって、9.11テロでは3000人の人が亡くなったけど、ルワンダでは一日8000人が殺され、それが百日間続いた、というような次第だった。
それをきくと「なんて野蛮な民族だ」と思うけど、『ホテル・ルワンダ』をみるとそのへんの事情がよくわかる。まず最初にルワンダという国は非常に発展しているということ。舞台となるホテルもぼくは今まで泊まったこともないようなゴージャスなものだった。それからツチ・フツという民族に外見的な違いはなく、お互いに友人だったり家族だったりする。事実上ツチが支配していたけど、社会的差別のようなものは感じられなかった。
しかしあるとき、民族的な意識が急に生まれる。きっかけはフツの大統領の暗殺。ここから一気に虐殺の流れになって、民間人が民間人を殺し始めるが、もしこれを完全なフィクションだとしてみるなら、あまりに唐突なストーリーだと思うだろう。でも事実、唐突に虐殺は始まった。80万人が死んだ。これは、外見的にも全く意味などなさない民族意識が起こしたものなのだ。なにがツチとフツをわけるかというと、身分証明書にかかれてある文字だけだ。




中国や朝鮮半島との問題は、ツイッターをみているとびっくりするほど変動的に情報があふれだす。前日にはなかった中国批判でタイムラインが埋め尽くされる。
国があって、ぼくらのような人間がある。その二つをつなぐものは何か。
その答えは、『メトロポリス』においては明確にしめされている。

「頭と手をつなぐものは、心でなければならない」

この映画で頭とは知識層や権力者で、手とは労働者を意味している。
この映画では、労働者を暴動にけしかけるリーダーのような存在が出てくるが、実はそれは科学者がつくりだしたべっぴんのアンドロイドなのだ。アンドロイドに心はない。こいつはびっくりするほど動きがアシモにそっくりなのだ。ところでアシモってのはアイザック・アシモフから?だったらフリッツ・ラングに因んでラングにしたほうがいいね。


様々なことについて考え、よく検討する。でも一旦火がつけばどこだって暴動になり、どこだって戦争になる。この二つをつなぐ心というものを、果たして持ち合わせているだろうか。

ここで、高杉晋作の最後のうたの下の句を思い出す。有名な、アレンジド・バイ・DJ望東尼

「すみなすものは心なりけり」

うん。非常に良い。ひょっとすると高杉晋作先生の上の句よりもいいんじゃあなかろうかという気がしてこないでもない。



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